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Kurinについて

過疎化の進んだ超田舎に生まれる

県内でも過疎化の進んだ山間の町に生まれ、幼稚園や小学生の時の同級生は

10人未満。

子どもは町の宝で、「地域の子」として町ぐるみで大切に育ててもらいました。

近所に子どもがおらず、ひとり遊びをしていたのをよく覚えています。

一人ひとりとの繋がりが濃密であったことが職業選択において

人と深く関わりたい
人生に寄り添いたい

という勤労感に影響したと思います。


小中は地元の公立校へ

地域柄、選択肢が限られていますので、
自然と地元の学校に通うことになりました。

勉強に関しても塾がないため、
自分の力で取り組むしかありません。

小学校は悩むことはありませんでしたが、
中学校では定期テストがあるため、
理屈よりもまず覚えることを優先させたり、
問題を自作したりしていましたね。

クラブ活動に関しても選択肢が少なく、
野球・卓球・テニスの中から私はテニスを選びました。

この選択が指導者として生かされることになりました。

高校は通える範囲で
最も進学実績のある公立高校へ

片田舎で育った私にとって都会は憧れの場所でした。

そのため都会で大学生活をしたいという思いから、
大学受験に対応している高校への進学を考えました。

辺境の地に住む私にとって、
その目標を実現する選択肢が少なく、
通える範囲の中で実績のある高校へ進学しました。

高校でもテニスを続け、指導者がいないながらも工夫をして練習に打ち込み、県大会を勝ち抜き上位大会を経験することもできました。

難関私立大学で日本文学を学ぶ

都会で大学生活を送りたいと考えていましたが
専門とする学部は経済・商学系か日本文学かで迷いました。

最終的には関心の強かった日本文学を専攻しました。
この選択によって国語教師としての道が開かれ始めます。

就職には向かない学部だとは言われますが、
好きなものを集中して学ぶことができ、
個人的には選んでよかったと思っています。

中高と続けてきたテニスは2年生で一旦休憩。
3年生からはバイト代で車を買い、愛車をイジることに明け暮れました。

自分の車で色々なところに行けたのはいい思い出ですね。

企業への就職活動後、教師の道へ

大学生活も終盤に差し掛かり、
はじめは企業への就職を考え、就職活動を行いました。

メインとして受けていたのは、
自動車業界、出版・印刷業界といった自分の関心の強い分野でした。

今考えれば自己分析も業界研究も不十分で、
選考が進んでいた企業があったのも不思議なくらいです。

そんな中、4年生の5月に行った母校での教育実習をきっかけに
教師になりたい気持ちが強くなりました。

そこからは企業の応募も控え、
採用試験に向けての準備を始めました。

試験までは期間もありませんでしたから、不合格なのも当たり前でした。

ただ幸運なことに最終選考までは進めたので、
卒業後の4月からは講師として勤務することが決まり、
それから12年間国語科の教師として公立高校に勤務しています。

34歳で未経験業界・未経験職種への転職を成功させる

そして現在、
最新の私の状態が、

34歳にして
未経験業界・未経験職種の民間企業からの内定をGETし
2024年4月から転職をする

という状況です。
ちなみに未経験業界・未経験職種とはいわゆる

人材業界
転職エージェント

親和性の高さや、これまで身につけたスキルを活かせる部分が多かったことから、この業界への転職を決めました。

親和性が高いとはいえ、異なる業界ですから見向きもされなかった経験も多くあります。
面接では”利益追求をした経験もない”、”子どもを相手にしかしていない”というような言葉をかけられたこともあります。

それでも私はそういった言葉に負けない準備をし、内定を手に入れることができました。
今は新しい世界で新たな挑戦をするとともに、教師からの転職に苦しんでいる方の力になりたいと思っています。

これが私の来歴です。
超田舎に生まれた以外は、どこにいる普通の人間です。
そういった存在でも、

教師からの転職
30代中盤からの転職

は可能ですので、
私の取り組みえを参考にしていただければと思います。