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駐車場に落ちているものを見て、何よりも大切なものに気づいた

生活圏内のスーパーに車を運転して買い物に行った。
車から降りると隣の駐車スペースにあるものが落ちてあった。

子供の名前が書かれた名札のようなもの

それは大人が書いたような字ではなく、小さい子どもが見様見真似で書いたようなつたないものだった。

乗り降りの際に落としてしまって、気づかなかったのだろうか。
なくしてしまったことに気づいた子どもは泣いたりしなかっただろうか。

文字とも認識できないくらいの文字には思い出がある。
保育所に通っていたころ、ひも付きのコンパクトな物入れに父の似顔絵と「おとうさんありがとう」的なメッセージを書いた記憶だ。

父の日のプレゼントだったのだろう、それを父に渡し、父は車のごみ箱として使ってくれた。
運転席の隣、シフトレバーに紐をひっかけて箱がぶら下がっていたのを覚え

車を2台ほど乗り換え私も学生になってからも使ってくれていた。
限界が来たのか私が大人になった時には車内からはなくなったが、実家を探すとどこかに保管されているのだろうか。

以前、大切なものに囲まれて仕事をしているという記事を書いた。

父も私と同じように仕事に行く時には私の贈ったゴミ箱を見て元気出していたのだろうか。

今私には子どもはいない。
もし授かることができたら、そういった経験をしていくのだろうか。
その時の感情を父と話ができないのはたまらなく寂しい。

やはりものに込められた思いに力を貰える。
実家の私の部屋を整理した時にはかなり懐かしいものが出てきた。

捨ててもいいと思うものはあるが、懐かしく思い出がよみがえるものがある。
それは自分自身だけの思い出ではなく、誰かと一緒の思い出ばかりだ。

祖父が買ってくれた電車の模型
祖母が編んでくれたポーチ
兄と色違いの帽子
父に勧められた本
母が買ってくれたカバン

私は何よりも家族が大切なのだと思う。
今ではその輪の中に妻も加わった。
逆に私も妻の大切な家族の輪に加わっているのだろう。

家族は増えることもあれば減っていくこともある。
ずっと一緒に入られないし、あと何回会えるのだろうと考えると焦りを感じる。

来るべき時に、後悔がないように大切な時間を共に過ごしていきたいと思う。
そういう意味では現在の仕事は良くも悪くもある。

休みの日を休みの日と扱えるようになってから実家に行ける日も増えた。
それに伴ってひとりで暮らす母とも会える時間が増えた。

その代わり平日は帰宅が遅くなった。
それに伴って妻と話をする機会は減ったかもしれない。

平日と休日の確保はトレードオフの関係のように見えるが、もっとうまくやっていけないだろうか。
それが今の自分の大きな課題だと思う。

もっと家族を大切にできるように。
そう思うと仕事を頑張っていく意味が見いだせてくる。

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